20年以上前の夢。
ヘキサゴンブロックに書いた話の全容。
黄色い袖無し服の男僧が2~30人ほど
山頂の寺院で修行していた。
雰囲気は体育会系の、
実直、まっすぐ、さわやか、能天気
な人間が集まっていて、
何て晴れやかな人達なんだろう、と。
修行着ではなく今の服装でいる私は、
場違いじゃないか、ここにいて(入って)いいのか、
などと思いながら突っ立っていると、
正面にいる人から呼びかけられた。
僧「〇〇〇〇!(※)」
私「・・・?」
僧「師匠がお呼びです。(ほほえむ)」
私「・・・・・・」
(実際の名とは異なる。どうやらわたしの名前らしい。)
寺に入ると、
袖のある黄色い服を着た師匠が木棺(木の船?)の中で座っていた。
師匠の前に呼ばれた修行僧が何人か座している。
師匠「これで肉体を持つことはない」
手を引き寄せ、両手を包んで握られ、
師匠「お前に頼みたいことがある。」
(何を頼まれたか、わすれてしまった。)
その後、私の頭上で光の玉(魂)が2~3周回った後、
消えた。
中国の風景を見ていて、
何か夢の中で見た景色と似ているな~、
けど、山の形が違う・・・。
「中国 山頂 寺院」で調べる → 「九華山」。
即身仏。1200~1300年。
山頂付近の岩山の丸さは似ている。
エジプトのミイラ、日本の即身仏、
中国の即身仏は修行によるものではないらしい。
しかし、夢の意図を探るなら、
「もうこの世に肉体をもって生まれることはなく、
指導することもできない。
せめてもの情けとして生前の姿をここに残しておくから
忘れるなよ」
「おまえ生まれ変わっとるぞ」
という確認のためで、
ご利益を求める場所ではないと思う。
夢で見た時は建物が一つくらいだったのに
後から建てたお寺が沢山あって、
色んなものごちゃごちゃ建てたら
本来の趣旨(お前ら生まれかわっとるぞ)
がわからなくなる、と思いながら写真を眺めていた。
修行僧の服から辿り、
チベットかタイあたりの寺院と思って
ラマ教を調べたことはあるものの、
中国に仏教+禅+即身仏の場所が
あるとは思っていなかった。
人それぞれに縁は違うと思うので
エジプトのミイラや日本の即身仏で
気づく(確認する)人もいるだろうけど、
日本でどれだけエジプト展開催されてても
なんとも思わなかったので、エジプトに縁はない。
1200年後から
師匠に呼ばれて1200年前に飛んだ。
夢渡り。
過去・現在・未来(時空間)の消失、
場所の移動(時空間移動)。
九華山に行ってみたいかといえば、
セミの抜け殻に参ってもどうしようもないので
行きたいとは思わない。
師匠本体に肉体はなくとも
光の霊(玉)となってどこへでも
移動できる(出てこれる)のだから。
閉ざされもせず、叩くドア(扉)さえない場所。
ここには「座る椅子がない」。
全ては開かれた本。
「お見せしましょう」と、
つつみかくさず自然は常に見せているから、
「小聲點,你到我面前來。」
を言わないし、言う必要もない。
これを師匠(自然の代理)が伝えなければいけないのは、
人が自然から離れているからだ。
「禅の公案」は人の世に近く、
自然は公案を超えている。
しかし、本人は顔と手以外鉄壁の防御。
見せる必要がない。
自然を見ていれば、
袋を開けずとも中身がわかるだろう、と。
in(陰性)社会。
四角いハコモノ、囲い、閉じられた場所。
選んだ(選ばれた)人のみが入れる建物。
その中で、教えをうけられ、
内側にいる人々も囲いの中でならオープンになれる。
名で呼ばれるのではなく、
人は番号化され、基本は科学技術のようだし、
どちらがいいかな。
しかし、頼まれごととは何だっただろう。
思い出せない。