(最低でも10年以上前に見た夢。)
発展した街の脇道、通りからは少し離れた場所に ギャラリーがあった。
入ると、ギャラリーの主人らしき人と客が何人かいた。
ギャラリーといっても目立つものは大鏡だけで、
それも『本当の姿をうつす鏡』だそうで、鏡の前はにぎやかしいものだった。
六角形のエメラルド。
「私、真珠だった~~」
「私、エメラルドぉ~~~~」
「〇〇だった!」
私「( 宝石占いとか、動物占いなのかな・・・ ?)」
おそるおそる鏡の前に向かう。
太陽と月の錫杖を手にしている天魚が鏡にうつっていた。
私「( ???
天 (使)・・・?
人魚 ・・・??
え? 宝石とかじゃないの・・・??? )
わけもわからず、おどろいて、夢から覚めた。
展示物は大鏡だけのようで、奥に通路もあったがそこまでは入らなかった。
ギャラリーの店主は無反応だったので、
店主は鏡を通さずとも人々の本当の姿が見えているんだろうなと思った。
【太陽の下で、卵を抱えた天魚】
そんな夢を見た何年後かに、
この『Laguna agate(ラグーナアゲート)』を見つけて
石の中にも私がいる、と 驚いた。
ラグナアゲートの赤色と水色(ブルーレース)は
日の出と夕暮れ時の、日と空と雲の色と同じ。
自然の生んだ遊び心がトレジャーメノウの卵型・丸型にあらわれていると思う。
割ると見れる模様、絵心。自然の生みだした絵画。
内部は鍾乳洞型の結晶で、それを二つに割る。
割る場所が良かったのか、奥のほうは遠近法がかった山並みに見えている。
『天魚家』の名前の由来、 天使+人+魚・・・
一生手放せない鉱物がこの卵型メノウ(アゲート)。
鉱物整理は、この石と他の石を秤にかけて手放している状態です。
鉱物を乗せている書物台『星の書(星書)』に描いた絵は
全て下書き無しの一発描き、
天魚の下半身は魚の尾ではなく、魚の鱗と羽が一体化したもう一つの翼、
天魚は3枚羽(3翼)なのです。 鳥の羽と魚の鱗の模様は似てますよね。
天を飛ぶ(泳ぐ)鳥、
海を泳ぐ(飛ぶ)魚、
地に根差し生きている人。
(10月8日追記)
2022年6月20日に見た夢。
男性の後ろに私は立っていた。
男性は誰かに淡々と話しかけて説得させていた。
その男性の背中・後頭部・首元・背の中心あたりに、
1~2cm程の灰~黒色した子砂利がめりこんでいて、
(ケガはしていない、海辺で寝そべったときのようにめりこんでいる感じ)
私は「(かわいそうだな、いたそうだな・・・)」と
右手の人差し指と親指で
ゆうっくり、そ っとつまんで、ちまちま一つ一つとってあげていた。
その砂利たちを表返し裏返し眺めながら・・・
「(なんてひどいことを・・・。宝石投げるならともかく・・・
この砂利日の元に照ら(灼熱に)して(もしくは炎天下の車中に置いて)
口ん中投げ返してやろうか)」、
とか思ってたら、一通り話し終えた男性がこちらを振り返って、
それで夢から覚めた。
イエス・キリストの、「罪のないものが石を投げなさい」の、
石の本来の意味は 「石=言葉」 ですね。
口から宝石が出てくる『宝石姫』の寓話があるように、
たとえ投げられた石が「宝石」であるならば、
こちらもありがたく受け取り肝にめいじて大事にするだろうけど、
多くの人達が投げかける言葉は・・・砂利。
重石を抱えて生きている。
宝石はかるく、一粒で貴重。
大鏡にエメラルドや真珠、サファイア、ルビーが映っていた人たちは、
若いといっても心の綺麗な子たちだったんだろうな。
砂利を受け止めた男性は、
私が砂利を投げ返さなくてもいいように守ってくれたのか、
砂利を投げた人を守ってたのか、
両方を守って0にした、キリスト同等の態度。
キリストの時代はまだ素朴な心の人が多いのであれで済んだのですが、
今は絡まった心の人が多いので平然と「砂利・言葉」を投げまくっている。
0化する説得もお笑いネタに・・・
「最後にキリストだけ石を投げていた」とかにされてしまうくらいなので。
ある意味では「石(言葉)」を投げているのだけど、
キリストの投げている石・言葉は砂利ではなくて、<宝石(真珠・叡智)>です。