宇宙の擬人化 人 

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     「無から有を生み出せるのは自然(無・神)のみ」
 
 

 

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 手から放たれた力の放出とサンゴを組み合わせた絵。
 
 結晶化へ至るまでにどれほどの力がいるのでしょうか。
 
 見たままにちかいものを描いたのは
 

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 こちら (蝶はおまけで追加)。
 
 大事なことは、 光の微粒子 煙 蒸気、
 「微粒子の点が星々のように光る」こと。
 写真ではラメの煌めきが伝わりません。
 
 絵を置くハンドトレイ・手型のお皿は手から放たれたものの象徴で、
 常々手が大事と言いました。
 
 絵は基本的に繭型、
 惑星が動いているように「シンボルは常に動いている」、
 なので幾何学よりは螺旋円形。
 
 フローライトにも螺旋型結晶があって人の指紋のようです。
 
 指紋の中の、銀河。
 
 人間は遠くまで行かずとも、見なくとも、
 自分のこの手(掌中)に宇宙を抱え歩いている。
 
 宇宙の音が人間から流れているなら楽器も無用だし、
 楽器は外的なもの。
 

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   「真実に生きる者と物。
 
    神の光彩の中を日々生きてゆく人間から見れば、
    物とは真理の光である。
    一茎の草花そのものが完全な神であり光である。」
 
 

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 夢で見せられたものを描いているだけだったので、
 これら全て夢日記のカテゴリーに入れていいのかも。
 
 

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 始めは見せられた通り白壁(白紙)に描いていたのですが、
 煌めき方が薄く見えるので、
 
 

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 後に見せてもらった暗闇宇宙、黒(黒ボール紙)を背景に
 描いていきました。
 
 

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【「Q錠前&A鍵」への疑念】
 
 Aを有してQは無用。
 
 始めからA答えを与えられ、抱えている場合、
 一致するものでなければ何にも開かれない。
 
 指導者は横並ぶ、背後・ついてくる(見守る)、
 二人羽織、隣同士で座る。対面は敵か、指導に入っていない。
 
 
 
 
     「釈迦の立場に立って、
     宇宙を手のひらに握りえたもののみが
     宇宙の外から宇宙を眺めることができる。
 
     そして完全な自然を知ることができる。
 
     掌中に握りしめた宇宙にもはや
     大小・左右・高低・内外・時空間はない。」
 
 

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 ずっと様子を伺われているので、近づいた。
 
 目をのぞきこんで確かめると、
 ふっと、木漏れ日の明かりが消えて暗くなった。
 
 前を向くと、 暗闇の宇宙。
 
 手から放たれたエネルギーと、
 その後見せてもらえた宇宙に浮かぶ星々は同じもので、
 この人が漆黒の闇に星を送り込んでいるのか、とも思い
 息が止まってしまった。
 
 何より、放出後のエネルギーを使って遊んでいたこと。
 
 白壁に落書きする子供らの本能は自然なものだし、
 宇宙創造と同じ原理だったりするかも知れません。
 分別知が無い時期の子の絵ほど注目。
 
 
 
 
    「神が貴方に手をさしのべるのではない。
     救うこともしないが、見捨てることもない。
 
     貴方が神にささやきかけて、
     神と合流するかいなかである。」
 
 
 
 
 手を差し伸べること、何かを求められること
 (愛・感謝・ひれ伏す・従属=信・所有行為・など)もない。
 誰かを利用・搾取する態度ではなく、
 相手の意志を尊重し、従属所有させる気持ちの無い人。
 
 ただ、見せて(無教育)与えるだけだった。
 
 それは、力があまりあり、
 破壊されても、また(無から有を)生み出せるため。
 
 
 存在の特性として思うのは、 少し・・・、
 見てほしいって気持ちも多少あるようで、
 自然が呼んでくる時もある。
 
 
 これ見て、 って。
 
 
 どや? って ねずみ持ってきたり、 虫置いたり。
 
 
 んーーー、 それ食べられないんだー(汗)。
 
 
 
   「汚濁し、荒廃していく人間を浄化してくれる最後の、
    そして最高の教育指導者は自然である。
 
    自然は無教育の教育者である。」
 
 
 
 この指導者の贈り物により、
 懐の範囲内におれば包まれ、守られもする。
 
 「握りしめる」と「握り潰す」の違い。
 
 破壊行為は本来、生み出せる者のみが有する特権。
 生み出された後の命にはコピーのコピーしか作りえず、
 それゆえ、自然界から盗みとれるのは
 生む能力ではなく、破壊の知恵のみ。
 
 宇宙を擬人化・実体化したような・・・
 絶対宇宙大神我的態度の人だったけど、
 本来は人(ミクロコスモス)も 
 それ(大宇宙・マクロコスモス)であるわけで。
 
 たとえどれだけ純粋理性と力ある人でも、
 遊心無くして絶対はない。
 
 絶対(無心)の発露が遊び心なのだから。
 
 これはあたわった鍵の一つで、
 本来の役職の人が忘れてしまった、
 見落としてしまったこと。
 
 だから理性を発達させすぎた人、
 己の中の遊び心(内在神)を殺した人は・・・
 握りつぶしてしまったのだから、
 その手(掌中)に二度と神は宿らない。
 
 むしろ、無用なのだろう。
 
 目を伏せて、通り過ぎる。
 
 
 

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 太陽と月の錫杖を持った天魚の傍に宇宙卵があります。

 

 

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 アゲートを参考にしただけの絵。
 本然は私が描く前に全てを描き終えている。
 
 

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 こういうのを見ると、絵が描けなくなる。
 名画は初めに存在している自然の模写+寄せ集めだし、
 努力無用、本然の姿を眺めているだけでよかった。
 
 
 
【不立文字】

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 蚕が飛び立った後の絹繭。もしくは、蚕の主だったのか。
 扉の無い、開きっ放しのドーム。
 
 つまり、閉鎖・閉じられていない、隠し事の無い、開かれた本。
 常に存在はあかされている。
 
 「指し月」は「ここではない遠い場所」、
 連れ運び、目前で見せるなら指す動作は無用。
 手を繋ぐ従属行為の先に手放す日も見える。
 
 素朴さは誤釈を防ぐための配慮でもある。
 下手な演出が無い分、
 夢で見せられたものが一番質素かつ無垢で美しい。
 
 
 自然界の数学的幾何学美やシンプルさに目を向ける者多くとも、
 
 人体に受肉した聖霊の態度がいかなるものかまでに
 目を向ける者は少ない。
 
 それは数で図り示すことのできぬ態度である。
 
 
 人は自分の図ったもので図られるという。
 
 
 遊び心と図りにかけられるなら、本心というもの。
 
 
 
 無名 無味 無臭 無音 無色 無心
 
 
 問わず、 語らず、 知らず、 分からず(分かたれず)、
 
 
 宇宙を手で紡いでいく。