三つ目ははじめから生まれ持っている。
開く(開眼する)ことも、閉じることもない。
また、眼が不動のため白目がない。
白目のある目が額につけられている人物を見ると、
(それ違うのにな・・・)と思いながら見ています。
多くの人は自分の姿を見る時、鏡を通して見る。
サードアイでは自分の脳裏に己の姿(顔)を視、
見る者と見られる者が同一者。
なので、自分の額に黄金色の眼がついているのに気づけた。
陽に琥珀をあてると、その時の色を思い出す。
(タイトル画像が毎回ぼやける・・・。)
20年黙っていた夢。
日本のサムライ、
鬼神とでも言うべき振る舞いで戦う人からもたらされた時が、
戦場の極限状態。
生死を超える、そういった状態で
己と周囲を脳裏で眺めながら戦っている。
絵でどう描くか、筆舌もし難い。
はたからは、その人の動作の全て常時ノールックに見える。
自分の姿をカメラや鏡を通して修正しなければならない時点で
鈍って生きているのだと思う。
3原色そろって百眼(一つ目)になるかといえば、
白光から一段ズレて分裂・下降した色なので、
綺麗に混ぜたからといって元に戻るとは思えない。
さらに一段下の緑、橙、紫になるだけで。
お釈迦様の例え話に
「一旦ヨーグルトになったら元の牛乳に戻すことはできない」の、
牛乳に戻したり、豆ふから大豆に戻す法則、
「全存在は本姿に戻ろうとする働きがある」法則を考えれば、
流転から離れるためには?
因果無きもの、百眼に関しては、
自分で働かせる、何かをやる、ということ自体、
間違った行為になると思う。
名前、
実生活の名とは別に受け取った名がある。
文字はあっても音が無音だったので、
どういう発音かわからず、呼ぶことができない。
A U M(オーム) なら、音がある。
トリムルティーの3音、3原色。
超えると、白光には音が無い。
呼ぶことができない。
黄色は白光に近づきやすい色で、瞳孔を白く描いておきました。
円心力ならともかく、
バランスが悪くてジグザグにズレていくのではなく、
光には光、まっすぐ降りる避雷針のようなものが必要です。
(原画)
外からの絵よりも、
内(夢見)からの絵の方が素朴かつ揺らぐことはない。
どうやって実存を書き換えられるだろう。
どうやって無音を消すことができるだろう。