12月31日~1月1日 地震について

 

明けまして、おめでとう御座いまする。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 

一年前からあわただしく過ごし、家の整理を続けておりました。

 

地震について。

 

〔2023年の夏か秋頃〕

 

 夢の中に13代目の先祖だというおじさんが出て来て、

 「地震に気をつけろ、今度は長野で、内陸部で震度7。」

 

 と言われた。

 

 実際は石川でしたが。

 

 『夢日記』を見ると、

 

 「寝巻で逃げたお年寄りが大勢いて寒くしているから

  私やご近所の人達が

  毛布を取りにいったん家に帰った。」とあり、

 

 実際、地震は元日だったため、

 どこにも出かける予定のないお年寄りの方々は、

 寝巻で慌てて逃げだしていたのです。

 

 

〔2023年の12月半ばごろ〕

 

 旬の小豆が出回り、購入し、神棚にお供えした。

 ふと、「(袋を開けておかないと)」と、

 袋をあけてお供えし直したところ、

 

 袋を開けたことを忘れて、

 お供え物(野菜類も含む)を下げ(降ろし)、

 

 

       バッ シャーーーーーン・・・・ ・・・

 

 

 小豆を床一面にこぼす。

 

 この場に人がいようものなら大激怒されるものですが、

 幸い、私一人。

 

 散らばった小豆を探し拾いつつ、床を掃除しつつ、

 

 「(地震でも起こったら危ないから、

   これを機会に 荷物の整理(確認)もしておこう。」

 

 と、部屋の整理整頓を行う。

 

 日本人なら何度も地震にあっているので、

 軽いものは上に、重たい物は下に置く、

 割れ物は梱包して片付けておく、と、日頃から注意。

 

〔12月31日 年末〕

 

 お節料理をお供えし、さっそく頂く。

 

 「(年始から包丁を使わないように、

   お雑煮用の二段鏡餅のパックもあけて、

   食べやすいサイズにきっておこう。)」

 

 普段こんなこと(鏡開きの前に)をしないのに、

 あけてしまった。

 

 1時間後、 お餅は乾燥して ひび割れ。

 

 (これは・・・なんということでしょう・・・

  1月1日を待たずに もう 食べなくてはならない・・・。)

 

 31日ですでに 

 『お節』、『年越しそば』、『鏡餅』、を、たらふく食べた。

 

〔1月1日 元旦〕

 

 朝はお節料理、お昼も食べ終えた。

 食べ過ぎた、どうしよう・・・この後は、食っちゃ寝だ。

 

 16時(4時)過ぎ、地震

 

 一度目の揺れが大きく、これは近いところだと感じた。

 (震源地が遠ければ横揺れが長い。)

 

 外に出ると、窓ガラスの破片や、家の外壁が崩れ落ちている、

 家がすでに壊れていたり、灯篭が壊れている場所もあった。

 

 二度目の地震を外で体験し、家に戻ると

 鏡が倒れ、コタツの板がずれ落ちていた

 (コタツ布団をしていない、ただの机の板が落ちていた)のを見て、

 これはひどい地震だ、余震もまだあるだろうと、

 指定の避難所へ向かった。

 

 幸い、雪も降らず、

 停電もないのが周囲の灯りを見て、一安心。

 

 津波はないという情報が入ったことで家に帰る人が大多数だったが、

 停電していたらこのような情報を見ることはできないし、

 帰る決断が早すぎるのではないかと内心思った。

 

 停電していた場合は、

 帰宅しても何もできないし、安否確認のためにも

 大勢人のいる場所にいた方がいいので、

 避難所に3日間くらいはいようと思っていた。

 

 年始ということで、人(対応)不足。

 報道の通り、鍵が閉まっている避難所が多く、

 開くまでの間、私も窓ガラスを蹴破ろうかと待機していた。

 

 食料品(夕飯・飲み物)を求める人が店屋に集中し、棚はがらんどう。

 

 私、 お節も水分(ぜんざいやお雑煮)も、たらふく食べて満腹。

 

 避難所の底冷えで体が冷えてしまい、何度もお手洗いを利用しました。

 体の冷えからトイレが早くなるので、

 冬場の災害対策は「トイレと暖房(ふとん・毛布類)」が肝心。

 

 家に帰ると、机上の物が落ちていましたが、

 普段から低い棚を使用しているので食器類も無事でした。

 

 姿見は倒れないように本棚(キャスターラック)を置いていたところ、

 車輪のおかげで鏡がゆっくり倒れたようで、鏡は割れず。

 

 キャスターラックに割れ物を収納することで、

 車輪が揺れを吸収してくれたりします。

 

 これら以外も、12月に小豆をこぼして整理整頓したことなどが

 幸いし、今も無事に過ごしています。

 

 地震の前から「普段とは違う行動」をとっていることが、度々ありました。

 

 今思うと、生命維持を感じて大量に食物を摂取していたんですね。

 私は日常、こんなに食べません。

 

 こういうことの積み重ねが身を守るのだと思います。

 地震当日に仕事で別の県へと自然にはなれていた人や、

 急遽入院し病院にいて無事だった人もいますし、

 良い悪いは 後になってわかります。

 災害で生死をわけてしまうことは、何らかの縁もあるのでしょう。

 

 そう思うと、命を存続させてもらえたことに、

 生かされていることに感謝し、

 世の中に何ができるのかと考えたりも致します。

 

 戦争体験のある祖母が東日本大震災をTVで見た時に、

 

  「おとうさん(祖父)は先に亡くなってよかったね、

   こんな世界(景色)を見ずにすんだのだから・・・」

 

 と、口からこぼしていました・・・。

 

 石川ばかり報道されていますが、

 富山でも家に住めなくなった人もいて、

 道路が割れているところや、橋が壊れたところもあります。

 

 同様に、新潟・福井にも報道されていないお困りの地域、

 手助けを必要としている人達がいます。

 

 各家庭からの災害ゴミも多く、対応されていません。

 一月経過しても、ボランティアを入れてないらしい。

 

 

 身一つで逃げなければならず、

 家に置いてある出品物を気にしていました。

 

 かねてより23日~年末年始、

 雪の影響で3月まで出品休暇を頂いておりますから、

 他者に迷惑をかけることはないので、これも幸い。

 

 『冬・雪の間出品休暇』を頂く理由ですが、

 商品ご落札後、荷物を発送するまでの間、

 

 歩道は雪で埋もれて通れず、

 除雪車が通ったあとの雪の塊(2メートル以上の雪壁)で

 車道は道幅がせまい。

 

 歩行者や自転車は車道をとおらざるをえず、

 車道から歩道に乗りこもうとしたところ、

 

 雪壁に自転車の車輪がはじかれて車道に飛ばされ、

 車5~6台からむ事故を、私が原因として起こしかけたので、

 冬場の出品はやめました。

 

 お車を運転される方は、

 自転車が車道にいたら大きく避けると思いますが、

 雪道でノロノロ運転だったことも幸いし、

 私(自転車)が車道に飛び出したときには

 皆さん大きく避けていました。

 

 

 雪の間は動物と同じように、家ごもりです。

 

 今回の地震で、

 これまで以上に「物を持つという責任」を手放したい気持ち

 が生まれた反面、物を大事にしたいという気持ちも芽生えました。

 

 

 

 

 

「ふ と、命が宿る」 鉛筆画 手描きイラスト

 

 瞳を何度も修正しているうちに、

 ふっ  と、 命が入る感覚、

 

 「あ、入ったな」 があったので、

 

 これで雰囲気は出たと思います。

 

 命の無い器・人形に命が宿る瞬間でしょうか。

 

 この有・無が、

 絵の生・死の(大きな隔たり)差、

 雰囲気に繋がることと思います。

 

 画力ではなく、命を宿せるか。

 

 水木しげる先生が旅先では、

 命の宿る(生きている)彫刻像だけを選んで購入する、

 と書いていました。

 

 ただ絵を描くのではなく、

 生きている、

 ほんとうにこの絵の人物が存在しているのではないか、

 という絵を描くこと。

 

 嬉しいから・悲しいから、が絵に反映するのは、

 これはただの気分であって、命ではない。

 

 「あんたの絵、雰囲気だけで6割ましだからぁ」

  おばさんの言葉は、

 

 「画力はなくても生きている絵だから」

  と言われていたのです。